肥後国生活日常

肥後国での日常や、適当な創作。遅々として更新中の予定。

2024年、令和6年。今年は熊本へ移住して6年目。
勢いで移住したけど、時が立つのは光の速度を超えてる感である。
RKKラジオで、熊本を知らなければ、移住する事もなかったであろう。
本当に出会いは不思議である。

それは些細な出会いであった。当時、ラジオのネット動画配信が始まったばかりの頃
何処のラジオ局が動画で見えるのかと、探していたら見つけたのがRKKラジオ。

そこで出会ったのが、唐揚げ兄弟。
(正確にいうと唐揚げ兄弟には、もう一人いたのだが、その方とは疎遠である)
そして、気がつけば親友になっていた彼ら達。
それは若い頃に喉から手が出るほど欲しかった存在だった。
でも、それは望むほど出来ないものなのだが。

今考えても、何故に親友になったのか。全然分かってない。
そう気が付いたらなっていたのである。

こんな唄がある。
吾背子 三人之居者 山高 里余者月波 不曜十万余思
(我が背子と 三人し居れば 山高み 里には月は 照らずともよし)
意訳:親友の君らと、三人でいるのなら、例え山が高くて、この里に、月が照らさなくてもかわもんよ

ある賢者は云う
「どのような友を作ろうとも、どのような人と付き合おうとも、やがて人は、その友のような人になるだろう。」と

こうとも云う
「友情の最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする。」

更に
「実益がありそうかを計算することではなくて、愛する気持ちを込めて、心を振り向けることにより、友情が生まれる。」

望むと、望まないと拘らず、結局友って、気が付いたら出来てるものであり、作ろうとして出来るものじゃないだろうな。

二月。如月である。
相変わらずの晩酌である。

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酒は元々は、独りで呑むものじゃなくて、神々と飲むもの。
要は神事である。神事であったのだが、
時代が進むにつれて、まあ神事以外でも呑んでもいいじゃねえという人がいるわけで。

日本後紀によると、天平宝字2年(758)2月20日の条に
「民間の宴会は、常軌を失い、みだりに聖者の政治をそしり、酔い乱れて節度をなくし、
喧嘩沙汰に及ぶ。今後、皇族、貴族以下の者は、
祭祀の場合と病気の治療する時以外は飲酒をしてはならぬ。
違反者があれば、五位以上の場合は、1年間封録を停止、
六位以下の場合は現職を解任。それ以外の者は、杖罪八十に処する。」

でもまあ、これでも効果がなくて現在に至るだろうな。

江戸時代には
「この世の事さえも知れねものが、死んだ先がどう知れたものか。
寝酒の一盃づつ呑んで、心良く寝るのが極楽よ。」
とかあったようで、こんな風に粋に呑みたいものである。


気がつけば明日で終わるよ1月。
そして、今年って閏月と気が付いた今日。

さて、先日の日曜日、17時過ぎ頃。
買い物帰りで、テクテクと歩いていと、
前から、ピンク服を着た人が走ってくるのが見えたのです。

この寒いのに元気な人だなと思いつつ、
通り過ぎたら、声をかけられたので、誰かと思ってよく見たら、
塚原まきこさんだったので、びっくらこいたという。

声をかけられるまで、全然気が付かなかったのう。
よく考えたら、あの後、
21時から生放送あったはずなのに、元気な人だな。


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