阿蘇山といえば「隋書」東夷伝倭国条に記載があるそうで。

「隋書」東夷伝倭国条といえば、聖徳太子が随の煬帝に出した手紙とされるものが有名。

歴史の教科書でよく出てくるあれである。

「日出處天子、致書日沒處天子、無恙、云云」(日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無く。云云)

これである。これを見て煬帝は激怒したという。まあ、小野妹子は、その返書を捨てているので、どんな内容が書かれているかは不明であるが。

因みに、小野妹子。返書をなくしているが罪には問われてない。反対に、冠位十二階の最高位である大徳まで昇進している。政権に都合が悪い公式文書を無くすと出世するのが文化らしい(おい

さて、阿蘇山に関して記載があると聞いて、手元にある「隋書」東夷伝倭国条を見てみたら書いてあった。

「有阿蘇山 其石無故火接天者 俗似為異 因行禱祭」

(阿蘇山有り。故なくして火起こり石は天に接する者。俗、以て異と為し、因って禱祭を行う)←従来の訳

(阿蘇山有り。其の石、故無くして火起こる。天に接する者、俗、以て異と為し、因って禱祭を行う)←この訳もあるらしい

阿蘇の噴火活動に関する記事。阿蘇の噴火があったのであろう。時期的には不明で、遣隋使は、推古8年(600)〜推古22年(614)の間、6回行われている(記録上)が、その間か、前後にあったのだろうか。

日本活火山総覧によると、欽明14年(553)に阿蘇山が噴火?してるらしい。この噴火の事が記事になったのであろうか。ところで、この出典を探すのに数時間かかった。古事記や日本書紀を見ても全然分からなかったし。

漸くこれかなと思ったのが、阿蘇山上神社由緒記(神社は、阿蘇山ロープウェイ駅の北東にあり)「欽明14年(552)。阿蘇山火起こりて天に接す。阿蘇宮の中三社を祀り、社家の内笠忠久をして奉仕せしむ。これを天宮祝と云う」とあり。多分、出典はこれであろう。

552年と553年と1年ずれているのは、数え方の間違いであろう(阿蘇山上神社由緒記が間違い)

遣隋使の使節団が、阿蘇山の噴火を随へ語ったのは、よほど印象的は事案であったのか。それとも別の理由でもあったのかは、もう想像しか出来ない。

論文を見るとわかるのであろうが、ネット検索だけでは、ここまでが限界である。

因みに、これを書くために色々調べて、1日潰れましたとさ(暇人)

※禱→祷の旧字