肥後国生活日常

肥後国での日常や、適当な創作。遅々として更新中の予定。

2020年01月

今日は、茶っぱを床にぶちまけ、その後、コップを落として割るというぶちまけ生活でした。いかん、気を抜いていたな。気をつけよう。何かしでかしそう。

さて、24h勤務→明けで、その日夜勤→明け→24h勤務はえらい(疲れる)ですね。全て人材不足のせいですが。時給を千円くらいにすれば、人が来るぞ(ボソボソ)

 

肩甲骨がずっとこってるな。整体でも行くべきか。今日は、車検も終え、愛車が帰ってきました。車検代は7万3千円。まあ。それくらいでしょう。

さて、阪神淡路大震災。25年前の昨日。愛知も揺れた。当時、名古屋守山区に住んでいたのだが、結構、長い時間揺れたと思う。その時は、あれほどの惨状になるとは想像もしてなかったが。
そして朝に、兵庫・神戸が大変な事になっているで災害派遣(当時、自衛官)になるから、準備が必要だという事で、すぐに出動が出来る様に準備。その日は準備におわれ、自らもすぐに出動出来るように準備して待機していた。

先発隊は、その日だったか。翌日かは覚えていないが出動。

ようやく、中部方面隊(守山にある自衛隊は中部方面隊の管轄)にも出動命令が出たという事で本隊が出動してる。これも地震発生から、3日後(うろ覚え)だったかな。

自分は、災害派遣本隊には配属されず、後方支援だった。まあ、隊員の食事作りをしてた。400人分くらいだったかな。このあたりも、あまり覚えてない。あの頃の記録を残してないので。ほぼうろ覚えである。

最初は、缶飯ばかり、それでも食べれるだけマシなのであろう。しかしも、食べないと力が出ないし。

その後、冷凍物で温めて食べる弁当みたいなヤツ。初めて見るタイプの商品だった。あれ以来、今でも見たことないのだが。

最初は1〜2週間(このあたり、うろ覚え)くらいいて、1度帰り、再び参加。その時は、食材も入るようになり、通常の食事になっていた。自衛官が温食を食べても文句を言う人はいなかったし。

災害派遣は本隊には配属がなく、本当にずっと隊員の食事づくりばかりしてた。なので、災害現場の話は、人伝に聞いてるだけで体験はしていない。被災現場は道中で見てはいたが。

体験話を聞くと、究極の選択みたいで、胃が痛くなることばかりだったそうだ。 

政府の対応や災害派遣要請等の批評はしないが、ただ誰も想像していなかった震災の規模。専門家が日本の高速道路は地震でも倒壊しませんって明言してた現状。

あの時、何ができたらよかったんだろうかとは思う。

そして、震災は自衛隊の転換期となった思う。人々の見る目も変わったし。当時、あの地は反自衛隊が強い地域で、複雑な思いも一部の自衛官にはあったらしい。自分は気にしたなかったが。

因みに、ナホトカ号の油流出も災害派遣に参加したが、これも隊員の食事作りだった件。この経験で、自炊に繋がっていくかもしれない。
 

今日は車検。代車がデミオ(ガソリン仕様)。ディーゼルに比べて伸びがない感じだな。あとガソリン臭い(そりゃそうだ)

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あと、バックモニターに未だになれない。自分のデミオには未設置だしね。モニターを見たほうがバックが出来ないというw。 

成人式といえば15日のイメージが強い昭和世代。成人式=元服ではないが、まあ、元服のイメージがないでもない。

なんでも、記録上(続日本紀)で、初めて元服をした人物は聖武天皇だそうで、日付は1月15日ではなくて、6月25日(まあ旧暦であるが)14歳だったそうだ。

和銅7年だから、西暦にすると714年。今から約1300年前。まあ、当時、元服をする余裕があったのは天皇家しかなかったであろう。

聖武天皇といえば、奈良の大仏の人である。遷都をしまくった人とか怨霊を恐れまくった人でもあるけどね。

明日14日は、門松を取り払う日らしい。「十四日門を見え透くやぶ小路 」っていう川柳があるそうで。まあ、門松なんて実家にもないだけど。

さて、今回の3連休。たまたま休日でした。しかし、交代勤務してるので、土日祝日が休みになると損した気分になるのです。やっぱり休みが平日が一番ですね。

何処へも出かける気力がわかないけど、食材の買い出しには行きましたとさ。ちゃんちゃん。 

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