肩甲骨がずっとこってるな。整体でも行くべきか。今日は、車検も終え、愛車が帰ってきました。車検代は7万3千円。まあ。それくらいでしょう。

さて、阪神淡路大震災。25年前の昨日。愛知も揺れた。当時、名古屋守山区に住んでいたのだが、結構、長い時間揺れたと思う。その時は、あれほどの惨状になるとは想像もしてなかったが。
そして朝に、兵庫・神戸が大変な事になっているで災害派遣(当時、自衛官)になるから、準備が必要だという事で、すぐに出動が出来る様に準備。その日は準備におわれ、自らもすぐに出動出来るように準備して待機していた。

先発隊は、その日だったか。翌日かは覚えていないが出動。

ようやく、中部方面隊(守山にある自衛隊は中部方面隊の管轄)にも出動命令が出たという事で本隊が出動してる。これも地震発生から、3日後(うろ覚え)だったかな。

自分は、災害派遣本隊には配属されず、後方支援だった。まあ、隊員の食事作りをしてた。400人分くらいだったかな。このあたりも、あまり覚えてない。あの頃の記録を残してないので。ほぼうろ覚えである。

最初は、缶飯ばかり、それでも食べれるだけマシなのであろう。しかしも、食べないと力が出ないし。

その後、冷凍物で温めて食べる弁当みたいなヤツ。初めて見るタイプの商品だった。あれ以来、今でも見たことないのだが。

最初は1〜2週間(このあたり、うろ覚え)くらいいて、1度帰り、再び参加。その時は、食材も入るようになり、通常の食事になっていた。自衛官が温食を食べても文句を言う人はいなかったし。

災害派遣は本隊には配属がなく、本当にずっと隊員の食事づくりばかりしてた。なので、災害現場の話は、人伝に聞いてるだけで体験はしていない。被災現場は道中で見てはいたが。

体験話を聞くと、究極の選択みたいで、胃が痛くなることばかりだったそうだ。 

政府の対応や災害派遣要請等の批評はしないが、ただ誰も想像していなかった震災の規模。専門家が日本の高速道路は地震でも倒壊しませんって明言してた現状。

あの時、何ができたらよかったんだろうかとは思う。

そして、震災は自衛隊の転換期となった思う。人々の見る目も変わったし。当時、あの地は反自衛隊が強い地域で、複雑な思いも一部の自衛官にはあったらしい。自分は気にしたなかったが。

因みに、ナホトカ号の油流出も災害派遣に参加したが、これも隊員の食事作りだった件。この経験で、自炊に繋がっていくかもしれない。